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2月句会「結果」

2017/02/07 18:48
  第53回 2月句会「結果」
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※次回3月句会は2句出しで
 2月28日(火)午後5時投句締め切り
 選句は3月7日までの一週間です

特選句 選評集

1.寒禽の餌に赤い実の行方かな(桃江)
【五島高資さん評】
木の実が色づくのは、鳥などに見つかりやすいようにそうなると
いう説がある。森羅万象のふしぎな関係性を思わざるを得ない。
果肉は鳥の体になり、種は遠くへ運ばれて木の子孫が拡散される。
冬であればなおさら実の赤さが目にしみる。

3.枝打ちの山深々と暮れにけり(信之)
【大津留直さん評】
「深々」は「しんしん」とも読めるが、私は「ふかぶか」と読んだ。
山の木々の枝を落とす作業をすることによって、その同じ山がこれまでよりも、
深いところまで見えて、ふかぶかと感じられてきた。そこに訪れた夕暮れも、
そのことによって、ふかぶかと感じられたのであった。
その身体的発見がこの句を生かしている。

6.建國の記念日今日に薪を割る(雅城)
【石田桃江さん評】
斧を使い薪を割る行為が
古代の人々の生活に思いをはせ
建国の記念日とのつながりをいただきました。

8.しののめや納豆をかき回したる(高資)
【真矢ひろみさん評】
しののめに納豆を付けるとは・・・。
なかなかいい味と感じ入りました。

10.波高き棄教の浜の水仙花(直)
【加藤直克さん評】
最近、遠藤周作の「沈黙」が再度映画化されたと聞く。
棄教という信仰の極限においてイエスの愛とは何かを問うている。
そこにナルキッソスの名を持つ水仙花を持ってきたことは意味深長である。
バッハのマタイ受難曲も、「我こそがユダである」というコラールを
通して同じテーマを追求しているように思える。

12.寒落暉呑みて蛇行の筑後川(直)
【加藤昌一郎さん評】
九州には宇佐神宮と国東半島の参拝に2度行っただけで、その
後は行きそびれてしまった。まだ幾つか拝観したい所はあるが、も
う米寿の体では無理であろう。そんな私にとって九州の災難は辛い。
27の九頭竜も同様ご災難で句も良いが、未見の筑後川への感傷
がこの句を特選にさせました。

15.理髪店から出た貌の末黒葦(龍子)
【鈴木浮葉さん評】
想像してとても愉快だった。すっきり刈り上げすぎた葦。

【服部一彦さん評】
春の野焼き後に顔を出した葦の新芽。その初々しさを讃えた。
さらっとした表現が良い。

16.春めきて置いては開く旅の本(淳子)
【朝吹英和さん評】
旅行の季節が待ち遠しい頃、あれこれと旅の
企画を考える気分が季語とマッチしている。

17.冬の月捕らへむとする蜘蛛がゐて(一彦)
【於保淳子さん評】
寒々とした月と黙々と網を張る蜘蛛の一枚の絵が
浮かんできます。地上の小さな営みと空にある凛とした
空気感がつながって、透明な美しさを感じました。

19.寒の水飲めば剥がるる影法師(ちか子)
【星人評】
掲句を詠むと「分かるなぁ」という気持ちが湧きます。
人間の脳内の不思議が表現されている共振性の高い句と言えます。
「感情」になる以前の人間の生の感覚が表されているように感じます。
一般に感覚を口にすると怪訝な表情をされますが、俳句の世界は自由です。
むしろこの感覚こそが求められるのです。これこそが詩性です。

22.狛犬の阿の口を出る寒夕焼(星人)
【小出哲央さん評】
凍える中に凛と立つ狛犬が燃える魂のように吐き出した夕焼け。
薄群青の空が徐々に陽が暮れて行く光景が目に浮かびます。

29.白菜を剥けば剥くほど日の名残(ひろみ)
【佐々木ちか子さん評】
ひんやりとした白菜の中に日の色、仄かな温かみを感じます。
幾重にも太陽の恵みをしっかりと包んで大きくなる白菜。
大いなる自然の恵みを頂いて、生かされているのだと改めて感じました。

30.セロ弾きがセロ刺し殺す近松忌(昌一郎)
【松本龍子さん評】
一読、意外性を感じる。セロ弾きがセロを刺し殺している、11月22日であることよ
という句意。「近松忌」の季語が取り合わせとして置かれている。まず近松の代表
作「曽根崎心中」での短刀でお初の命を奪い、返す刃で自らも命を絶ったシーンが
浮かぶ。しかし取り合わせてあるのは何と宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」である。
取り合わせによって季語を寓意化、象徴化することによってセロ弾きの内面を暗示
しているといえるだろう。調べとともに意味の重層化にも成功している。

34.冬川やただぼんやりとした不安(哲央)
【高橋雅城さん評】
この句を、単にそのシニフィエからとらえれば、きわめてくだらない駄句としか
言いようがない。しかし、作者のランガージュは読者をそのシニフィエという
通俗の空項へとじこめるということはしない。「ぼんやりとした不安」という紋切り型の
言葉を、みごとパロールとして屹立させておりそれがこの句の勝ちどころである。
そう確認した上で再度シニフィエへ立ち返ってみると、「ぼんやりした不安」などどうでも
いい言葉であり、この句で一番注目すべきなのが「冬川」という、おそらく涸れた、
生き物らしきものも見当たらぬ風景であることに否応なく気づかされる。





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